ふと思い返す。
みなさまいかがおすごしでしょうか。
おちよ。でございます。
お久しゅうございます。
いや、かなりご無沙汰しておりました。
このブログを度々みてくださる方々は
お分かりかと存じますが、
この私かなりの気分屋でございまして
更新頻度も低く、不定期でございます。
正直これに関しては
記事を楽しみにしてくださっている方が
どのくらいいるのか分からないので
ここではあえて
「これが私ですよ」
とでも記しておきます。
さて。
今回の投稿のタイトルは
「ふと思い返す」
でございます。
今日は仕事も休みなので
つらつらと久しぶりに心の中を
思うままに書き出そうかと思います。
いろいろなことが重なり
紆余曲折を経て
諸々を考慮した結果
現在のようにあまり表立って音楽をしなくなりました。
理由に関してはお手数ですが、
以前書いた記事をご覧ください。
体を休めようとした途端に体を壊したり
楽器に触れることも少なくなりました。
でもこれは悪いことではないと思っています。
なぜなら、
"近すぎると見えないもの"
が今、私には見えてきています。
よく「失って気づく尊さ」
などとありきたりな表現をされがちですが、
私は失っていないのでそれはわかりません。
"失わずに気づけた"
ことが大きな成果です。
さて私は何に気づいたのか。
それは
「生きる」ということ。
「失わない」ということ。
…ざっくりすぎて、
カッコつけなクサい台詞のようで
わかりにくいかもしれませんが
頑張って説明してみます。
まず「生きる」「失わない」という単語を
違う表現にするとすれば、
『存在する/させる』
に近いと思います。
過去に出演させていただいたライブや
自分のパフォーマンスを見たり聴いたり、
思い返したりすると
必ずそこには
「存在させたいこと」
(達成させたいもの、具現化させたいもの)
がありました。
それも無意識的に。
"今日はこんな表現がしたい"
"この人にこんな顔をさせたい"
"笑って欲しい"
"泣いて欲しい"
"楽になって欲しい" …などなど。
音楽業界やインディーズ界隈では
すごくありきたりに感じるかもしれない。
ここで私が思ったのは
「すごく独りよがりだ」
と思ったんです。
…でも正直それでいいんだなとも思います。
何かを「存在する/させる」には
独りよがりで自分勝手で
わがままにならないと成り立たないものかもしれない
と思います。
でもそれってすごく失礼なことじゃないかとも思います。
過去に
「(曲の)意味がよくわからない」
「売れるためにはもっとわかりやすい曲を作ったほうがいい」
「歌(だけ)はすごくいい」
「もっと他の人に寄り添った方がいい」
…そんなことをよく言われた時期もありました。
…周りの人たちに合わせて行かないと
聴いてもらえないから
自分を変えなくては行けないのかな…?
…そうかもしれない、と思っていました。
ふと思い返すと、
そんな何気ない言葉に振り回されて
自分が「存在する/させる」ということから
どんどん離れていって
ただライブを一本一本こなす事だけを
してきたんだなと。
ライブをたくさんして
たくさん宣伝してたくさんの人々に
見てもらえるようにと身を削っていた気がします。
どうしても周りの目を気にしすぎてしまう
性格が仇になっていました。
この性格はどうにもならないので
諦めます。
でも私の音楽に関しては
もう、独りよがりでいいとも思います。
なので、
今は
「自分のために音楽で表現をして"生きよう"」
「自分がしたいように、大切なものを"失わない"ようにしよう」
という結論に至っています。
前述した通り
私はとても気分屋です。
今後また意識や認識、価値観が変わるかもしれない。
…私はそれが私らしくていいと思います。
今後どう変わるのか私もわかりませんが
「嗚呼、そういえばそういう奴だったわ」
と軽く思っててもらえたら、
それでいいです。
これからも曲を届けられるように、
生きます。
それでは、
また。
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