これまでのおちよ。の振り返りと、これから。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。
おちよ。です。

ほかの国にはない文化である「元号」。
ついに明日から日本の時代の名前が変わりますね。
現在色んな方々が平成を振り返っているのをみて、
私もこれまでのおちよ。を振り返ってみようかと思います。

※結構長文です。

おちよ。として活動を始めたのがちょうど3年前くらいだということは皆さんご存知だと思います。
当時はライブ活動をする先輩方がかっこよくて、羨ましくて始めたのがきっかけ

でも、そのうち音楽活動をする上で「音楽とはなんだろう」と考えるようになりました。

色んな札幌の先輩アーティストに出会い、色んな刺激をもらって活動をしていく中で
「音楽=自分」
みたいなものが見えてきた気がしたんです。

2016年4月13日にSUSUKINO81Oさんでの「sweet unplugged」のブッキングライブに出演させていただいたのがおちよ。のデビューライブでした。
忘れもしないあの夜。
人前に、一人で出た時の恐怖感で足がすくんでしまう感覚と、沢山の人々の視線を浴びること。
それでも「歌わなきゃ」「聞いてもらわなきゃ」っていう使命感というか、とにかく必死でした。
不安の塊で人前に出ていたような気がします。

今思えばとってもいいスタートだったんじゃないかなと思います。
当日対バンしたバンドさんと弾き語りの先輩アーティストのライブに衝撃を受けて
「あんな風になりたい」
と素直に思いました。
それから大学とバイトの合間の時間、気が向いた時にギターの練習をして、
家族に「うるさい」と言われながらも日々を過ごしていました。
でも、正直当時は音楽に対しての本気度はほぼ0でした。
「音が出て、歌えて、楽しめればそれでいい」って思ってました。

しかし、音楽を始めて1年経たないう内に、おちよ。にとって大きな出来事が起こります。
ご縁があり、突然出演することになった「空知遊覧2016」。
本当に凄い方々の中に混ぜてもらって、稽古やリハーサルなどと同時に裏方を学び、作品制作をしました。

合計約400人以上の観客の前でパフォーマンスをすることに不安と恐怖でいっぱいでしたが、
「私が足を引っ張ってしまってはいけない」と思い、限界突破をした気がします。笑
(実は各公演の記憶が全くないのです…)

それでも公演の後にさまざまな感想を頂き、自分に吸収しながら前に進んでいこうと思った時。
「今のまま音楽をやっていく資格がわたしにはあるんだろうか」
と考え始めます。

ギターもうまくない、歌もそこそこ、自分にも自信がなかったし、
大学でいろいろなことを任され、断れない性格がわたしの首を締め付けていました。

そして2016年の終わりから2017年初めにかけて
交通事故にあって怪我をしてしまったり、精神的に病んでしまったりしました。
毎日まるで抜け殻のようにすごして、ほぼ毎日泣いてました。
怪我でギターも抱えられなくなったり、毎日「なんで生きてるんだろう」って思ってました。
人に迷惑をかけてばっかりでどうしようもない自分はいらない人間なんだとさえ思ってました。

でも、当時助けてくれた人々のおかげでこうやって生きているんだと本当に感じています。
心から感謝しています。ありがとう。無事に生きてるよ。

そしてそして。
2017年の夏にオーストラリアに渡ります。
VISAの名目としては“学生VISA”でしたが、
学校に通ながら音楽活動をしたり芸術鑑賞などといったものが中心の生活をしていました。
サブカルチャー系エンターテイメント事務所のCoffee and Vodka Creativeの協力の元、
いろんなバンドやユニットなどとライブをしたり、
毎週オープンマイクの場所をめぐって歌わせてもらったりしていました。
その中で以前からなんとなく感じていた、
自分の中での「音楽とは?」という疑問がはっきりと自分の中で形作られていったような気がします。

オーストラリアでは自分のやりたい事についてはほぼ100%の人が応援してくれます。
「ミュージシャンだろうがアーティストだろうがシンガーだろうがギタリストだろうが、胸張って言えばいいじゃない。何を隠す必要があるの」
「好きなことを精一杯やって楽しんだもの勝ちだよ、何があってもNO worries(全然大丈夫)だよ」
ってオーストラリアでの音楽の恩師が言っていました。
それでも自分の中には迷いがあって、「どうして音楽をやっているんだろう」って日々考えるようになりました。

そして2018年4月に当時おちよ。が1番お世話になっていた8joさんの周年フェスを観客として見にいきました。
終演後色んな想いが爆発し、盛大にスタートダッシュをしようと意気込んだ結果、
オーストラリアへ帰る成田行きの飛行機の中で倒れ、一時入院。
またギターにさわれない日々を過ごす事になり、また色んな人に迷惑をかけました。
オーストラリアからの相棒であるaNueNueさんを日本に郵送して多額のお金が飛んで行ったこともいい思い出ですね。本当に自業自得。

やっとお医者様と空港から出国のお許しを得てオーストラリアに帰りました。
そしてまたオーストラリアでフェンダーのアコギを迎え入れます。
毎日ギターを触っている自分によぎったのは2016年の空知遊覧。
あの出来事が頭をかすめた時に、
「音楽をやる上で資格なんかいらないし、自信がないなら自分でつけられるようになればいいじゃない」
って思ったんですね。
当時の私ポジティブメンタル強すぎか…笑

そして2018年7月。
日本でいうコミケやニコニコ超会議が一緒になったようなジャパニーズフェスティバルに足を運び、
大好きな超有名声優さんお二人に会ってサインを頂き、
スタッフとして入っていた友人に勧められてフラット参加した大会でなぜかファイナルに進出し、
観客約1000人の前で歌ってきました。
この時もあんまり覚えていないのですが、当日打ち合わせも声出しもなく、
その上でトラブルがありすぎてなんだか色んなところが強くなった気がしました。笑

この出来事があったおかげで色んなご縁がつながり、オーストラリア現地のボイトレに通ったり、
オーストラリアのユーたい手(Youtaite=YouTubeでの歌い手)コミュニティーに入れてもらって楽しい音楽ライフを過ごしていました。
色んな機材の話とかもするようになって、かなりの刺激になったとおもいます。

そして日本に帰国した時にはもうすでにおちよ。は音楽で、表現で生きていくことを強く誓い、
それに向かって歩み始めていました。
おちよ。にしか表現できない音楽を表現しようと思っています。

長々と振り返ってきましたが、
明日はついに令和時代。

時代の名前が変わろうがおちよ。は変わりません。
今年がイノシシ年で私が年女であることも変わりません!!笑

それでももっとパワーアップしたおちよ。を見てもらえるように、
もっと応援してもらえるように頑張ります。

ワンマンライブ2本、札幌でのライブ1本、東京でのライブ1本。
5月も頑張ります。

良い平成を!!
令和で会いましょう。


おちよ。

OCHIYO's Official Homepage

北海道を拠点として全国・世界に向けて音楽活動中。 オーストラリア育ちの"歌う表現者"

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